2008年1月29日火曜日

〔投稿〕 憲法学習の思い出

私の次兄は、第二次世界大戦で戦死している。この時、私は小学校三年生。先に、長男を鉱山の雪崩事故で失っていただけに、両親の悲しみは計り知れないものであった。次兄戦死の報が舞いこんだ時、母の慟哭の声はしばらく私の耳から離れなかった。肩を落とし悲嘆にくれる両親の姿は、今でも私の脳裏に鮮明に焼きついている。
後に社会科教師になった私は、「憲法」学習の場面では特に、戦争体験者として我が家と大戦との関わりを具体的に示すなどして、戦争の悲惨さと平和の尊さを説き、日本国憲法の三本柱の一つ「平和主義」の理念を強く指導した。戦争放棄を謳った「第九条」には特にこだわり、テストでは、条文の重要事項を空白( )にして解答させることもした。純真な子たちは、それなりに「平和」への認識を深めてくれたものとーー今でも自負している。
もう一つ。学級担任をしての思い出がある。学級の中には、生活保護を受けている家庭の子、就学援助を受けている家庭の子がいる。この子たちに共通しているのは、負い目を意識するのか周りを気にする表情が見え隠れする。一方、世間の噂を鵜呑みにし、彼らを色目で見る子どもたちのいるのも事実だ。これら双方の偏見的な考え方を正すため、憲法学習と関連させながら学級指導したのを憶えている。
取り上げたのは、「憲法25条」に規定する「生存権」だ。そこで、「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と謳っている真意は何か――と問うて、子たちに議論させてみた。有名な「朝日訴訟」の事例も話して聞かせ、「何人にも生きる権利、つまり生存権がある」との私の結論づけに、子たちは澄んだ目で頷いてくれた。
この条文、学級のだれもが覚え切り、声高らかに音読できるようになったのは――勿論のことである。(高橋)

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