職場に憲法や法律は通用しないと、かつて職制の上司が言っていた。様々な労働争議、特に日鋼、王子、全国を震撼させた安保闘争、対する大企業のアメとムチの労務対策。労組側は一部の人の警告を無視、労組幹部が会社の言うとおりの運動を進めた結果、長年に渡って獲得した労働者の権利が次々ともぎ取られ、気がついた時には物の言えない職場となり、労組の使命である生活擁護、賃金引上げ要求すらなくなってしまった。
これでいいのか。この時、憲法とは、労働組合法とはどんなものかを始めて考えた。憲法十四条、十九条、二十一条で保障する、法の下の平等、思想・良心の自由、集会・結社・表現の自由、人としての固有の権利や労組法の中身を忠実に実行していれば労働者同士がいがみ合い、足の引っ張り合いなどないはずだ。これが私の社会に目を開かせてくれた原点であった。
二、平和運動に情熱を傾けた理由
付和雷同的な生き方に疑問を持ち始めた。余りにも自己主張のない人生、これでいいのか。私は幼少時、体が弱く常に祖母、父母に心配をかけどおしの生活。もっとも昔は、百戸余りの山村に医者といえば盲目の按摩兼業の人しかいない。父は蛋白源として近くの小川の雑魚を取ってきて食べさせ、どうにか生命を繋いだという過去がある。こうした余りにも惨めな生活を二度とさせてはならない。加えて大きくは平和を壊す政治、特に靖国派と言われる人々のものの考え方はどうしても許せない。あの十五年戦争を忘れたのか、銃を持って戦った人々、銃後の守りとして食うものもない生活、これが戦争という人間疎外の行為なのだ。それを考えると「悔しい」。なぜ人間はこうもあの歴史を忘れられるのか。
いま、平和を守り、平和の語り部として街頭に立ち、あらゆる集会に顔を出し訴えているのは、どんなことがあっても戦争だけはしてはならない、この信念を貫きたいと思っているからである。<室蘭・鉄鋼九条の会会員 太田柳太郎>
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